■歴史問題
■逆説的に南京大虐殺を否定してません??
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今日は某中国人の反応を読んで知った事件を紹介します。
いや、ぶっちゃけると進撃の巨人に対して中国人が文句を言っている内容の話だった訳ですが。
その中で、何とか司令のモデルが秋山好古という軍人だったという話なのですが。
それで知ったのが……旅順大虐殺というものです。
日清戦争の旅順攻略の際、市内及び近郊で日本軍が清国軍敗残兵掃討中に旅順市民も虐殺した事件。
第一段階(11月21日午後~夕刻)
午後二時、第二軍司令部は旅順陥落と判断し、第一師団所属で乃木希典少将率いる歩兵第一師団配下の歩兵第二連隊と同十五連隊第三大隊に市内掃討の任務を命じたが、この二つの部隊が事件第一段階時点での当事者となった。
直接のきっかけはさきに触れた土城子戦後に日本軍死傷者に加えられた陵辱行為であった。鼻や耳をそがれた生首が道路脇の柳や民家の軒先に吊されているのを、二つの部隊が掃討の際に目撃し激昂したのである。大山巌は「我軍は仁義を以て動き文明に由て戦ふものなり」という訓令を発していたが、これ以後旅順の日本軍は文明とは反する敵討ち的感情にとらわれていくことになる。
なお、こうした清兵の死体損壊は、敵兵の首級や体の各部分を戦果の証拠とし、それに対し懸賞金を支払ったためであった。この事件の目撃者となった外国人記者は、首級に対し賞金が払われるのを見たと証言しているとからもそれが分かる。
敵討ち的感情を宿したまま旅順市内に入り掃討作戦に二つの部隊は従事したが、そこでまたやっかいな事態に遭遇する。清兵が軍服を捨てゲリラ的戦闘をしたためである。兵士と住民との区別がつきにくくなり、「終に民家に闖入して兵士と覚しき年齢の男子は引出して殺戮するの止むを得ざるに至れり」いう事態となった。
戦後、パリにて『日清戦役国際法論』を出版し日清戦争の正当化工作を担った有賀長雄(第二軍付国際法顧問)でさえ、この事件を隠蔽できるものではなかった。彼は事件第一段階の時には旅順郊外にて戦勝祝賀会に参加していたが、翌22日午前10時に旅順に入り、その時見た状況を「市街に在りし死体の総数は無慮二千にして其の中の五百は非戦闘者なり。湾を渉りて西に逃れんとしたる者は陸より射撃せられたり、是れ水中にも多く死体を存せし所以なり」と述べている(引用は可読性を鑑み片仮名を平仮名に変えて掲載。以後同じ)。有賀の見た惨状は前日の戦闘のものであると思われるが、最も日本軍を擁護する任を負った彼ですら、『日清戦役国際法論』においてこの事件を触れざるを得なかったのである。さらに総責任者大山巌も弁明書において「二十一日に於て市街の兵士人民を混一して殺戮したるは実に免れ難き実況」と述べている。
第二段階(11月22日以降の三日ないしは四日間)
事件の第二段階は第一段階の翌日から数日間にかけて起こった。この時旅順市内および近郊は、有賀が「旅順市街は昨夜(21日夜)既に攻略し了(おわ)り」というように、すでに清兵の組織的な抵抗はなくなってきており、そのような中で発生した事件第二段階は第一段階よりも虐殺といわれる状況に近づいている。
この段階では掃討任務を引き継いだ歩兵第十四連隊及び第二十四連隊(両部隊とも混成第十二旅団所属)という九州で徴兵された部隊が当事者であった。
戦争中より従軍兵士の手紙が新聞などに掲載されることはよくあったが、上記の第二十四連隊の軍曹の手紙も掲載されている。
「夜明けて敵の敗兵十三名を捕す、然れども下士哨にて悉く之を剣殺す、予も三人やりつけたり。・・・敗兵及負傷者毎戸二三人つつ在らさるなし、皆な刀を以て首を切り、或は銃剣を以て突き殺したり、予等の踏所の土地は皆赤くなりて流るる河は血にあらざるなし」(『福岡日日新聞』12月19日付)。
この他当事者ではない第一師団野戦砲兵第一連隊付き輜重輸卒であった小野六蔵は、日記に「11月25日 ・・・毎家多きは二三名の敵屍有り、白髭の老爺は嬰児と共に斃れ、白髪の老婆は嫁娘と共に手を連ねて横たわる、其惨状実に名状すべからず」と目撃したことを書き記している。
旅順陥落後の犠牲者はどの程度の数に上るのか。
この犠牲者とは基本的に民間人及び戦闘終了後の捕虜、戦闘放棄した者を指すが、その被害者数については諸説ある。
被害者は「万忠墓」という墓に葬られ、その碑には「一万八百余名」と記されているが、他の中国史料ではこれは「一万八千余名」とし、大陸の諸研究でもこの数を支持している。
これは虐殺を生き残って死体処理に当たった中国人の証言に基づいている。
一方その他の証言は大きくそれを下回る。
有賀長雄『日清戦役国際法論』・・・・500名
『タイムズ』(1894.11.28)・・・・200名
『ニューヨーク・ワールド』(1894.12.20)・・・・2000名
フランス人サブアージュ大尉『日清戦史』(1901年)・・・・1500名
以上は事件発生当時からさして年数が経過していない期間の証言であるが、現代の中国側の研究では2万名弱という数が定説となっている。
一方日本の研究では2000名弱~6000名という風にばらつきがある。被害者数の認定に大きな差異が生じているのは、正確な資料がないこともあるが、その事件の発生期間やどのような人を虐殺された人として認定するかについて懸隔があるからに他ならない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
中国の数字は水増しされたものだから、放っておくにしても。
約1500人を殺した程度で、ここまで事件があったことが問題視され正確な人数は分からないまでも数々の資料が存在していることが明白に分かるのです。
では、南京大虐殺と呼ばれる事件は如何だったでしょう??
日本人の報告は立場があり信頼しない方が良いことから、外国メディアによる報道を切り出してみます。
この事件は主に軍人や外国の情報に触れる事の多かった外交官などに南京の欧米人から報告がなされている(前者の代表例としては陸軍中将 岡村寧次関係の記録が、後者の代表例としては外務省欧亜局長 石射猪太郎の日記が、それぞれ挙げられる)。
軍人が戦地から内地に宛てた手紙がもとで日本国内でも流言になっていたという説もある。
アメリカでは、『シカゴ・デイリーニューズ(英語版)』や『ニューヨーク・タイムズ』、中華民国内では『大公報』などのマスコミによって“Nanking Massacre Story”,“The Rape of Nanking”,“Nanking Atrocities”として、それらが真実であるかのように報道されていた。
南京に在留していたジャーナリストは日本軍の南京占領後しばらくして脱出たものの、事件初期において殺人、傷害、強姦、略奪などの犯罪行為が日本軍によって行われたとして伝えられていた。戦時中のために無線が日本軍によって管理されていたため、彼らは南京を脱出後、船舶無線を使って報道をおこなった。
一方で、これらの報道にも反論がある。
東中野らはこれらの根拠に乏しい虚偽報告がおこなわれた要因として、当時の中華民国政府からの多額の献金により、これらのマスコミが買収された可能性を主張している。
渡部昇一は、欧米人は便衣兵や攪乱兵の存在を知らず、それらに対する日本軍による掃討を「市民の殺害」と誤認した可能性があると主張している。
また当時『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された「南京虐殺の証拠写真」とされる写真も虚偽写真の可能性が指摘されている。
無線を通じた報道も全て中国人からの伝聞をもとにして報道していたためその正確性には問題があるという主張もある。
また、内地への手紙についても正確性や信憑性に疑問が呈されている(例えば、虐殺行為を手紙で内地へで伝えたとしても検閲で落とされるため)。
『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン(英語版)通信員は、『文藝春秋』(1989年10月号)のインタビュー記事にて、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)それはありませんでした。」とし、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかった」「上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。
漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。
南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。
南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」と、伝聞等による推定の数として南京では数千の民間人の殺害があったと述べた。
また南京の『安全地区』には10万人ほどおり、そこに日本軍が入ってきたが、中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが民間人が殺害された原因であるとしている。
またニューヨーク・タイムズは「安全区に侵入した中国便衣兵が乱暴狼藉を働いて日本軍のせいにした」とも報道した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)
旅順では欧米マスメディアによって告発をされております。
しかしながら南京では色々と報告はあるものの、それを問題視する声は少なかったのが見受けられます。
最悪でも旅順ではその後政治的問題になってますし、それについて伊藤博文が直接弁明しております。
そう考えると……被害者数が数百倍の南京において、旅順並の問題が発生しなかったのを考えると……逆説的に考えれば、政治的な問題になるほどの事件が生じていなかった。
つまり、戦争行為はあっても虐殺と国際社会が認めるほどの問題は起こっていなかったと考えられませんか?
便衣兵がうじゃうじゃいて、それの掃討に苦労した上、色々と巻き込んだってのは否定できませんけれど。
そもそも……それは戦闘行為の一環です。
それをもって戦争がいけないと主張するなら兎も角……中国側の主張する大虐殺とは趣がかなり違ってきますね。
まぁ、南京南京ばかりが耳に入り、旅順の問題は初めて知りましたので、ご紹介をと思いまして。
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■吉田茂の言葉を思い出す。
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その所為で昨日の更新はお休みだった訳ですが。
その旅行先が何処だったのかは、影響されて今日のエントリを書いた辺りで分かる人は分かると思いますが……。
ま、それはそれ。
その旅行先で初めて知ったことがありました。
それは、第二次世界大戦直後の海上の事情です。
戦争末期、米軍は対日反攻政策の一つとして感応機雷を敷設し、日本本土の海上封鎖により重工業の弱体化を目的とする「飢餓作戦」を展開した。
主要な航路はことごとく塞がれ、敗戦後二ヶ月間で83隻の船舶が触雷した。当初、掃海作業の重点は大阪-下関間の航路確保を目的として瀬戸内海におかれ、掃海艇と現地徴用の漁船など112隻で「臨時掃海部隊」が編成された。
その後、掃海作業は全国的に並行して進められたが、瀬戸内海では昭和23年に9隻、翌24年には6隻の触雷事故が発生し、作業の重点は再び瀬戸内海に集中して行われた。
一方、日本海方面では機雷が対馬海流にのって沿岸各地に漂着し、一時は青函連絡船の運行も中止された。昭和26年に13隻の掃海艇で「日本海方面機雷捜索隊」が編成され、481個の機雷が処分された。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-soukai.htm
この状況は、はっきり言いまして今日まで私は知りませんでした。
と言うか、知らないようにされていたみたいで……
殉職者 79名。
瀬戸内海・朝鮮戦争の活動を含めて日本の死者も多数出たが一切公表もされず、殉職者の葬儀が公然と行われることは無かった。靖國神社にも祀られていない。
国際法では戦後の機雷処理は当事国(敷設した国)の責任で行うべきところ、連合国は敗戦国である日本に掃海させており明らかな国際法違反であることから、機雷掃海作業について 厳しい報道管制しいたためである。
との記述の通り。
これは、私たち一般国民には知られないようにされていたらしく。
教科書で見た覚えもありませんし、テレビで語られたことも全く記憶にありませんでした。
ひょっとしたら放映されたのかもしれませんが、私の記憶には全くありませんでした。
そんな無知な自分を情けないと思いつつ……言い訳のように吉田茂の言葉を思い出さざるを得ませんでした。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」
彼らの活躍を私が知らなかったのは、それだけ我々が幸せでやっていけたということなのでしょう。
だからと言って、知ってしまった今はもう、彼らに感謝も歓迎もなくいられる訳もありませんけれど。
せめて、今からでも良いから靖国神社に……と思うのは、何も知らなかったことへの後ろめたさから、でしょうか?
と言うか。
こういう政府が表立って報道出来ない、そんな情報を国民に知らしめるからこそ、報道の中立性と自主性が重んじられているというのに……今のマスコミと来たら……
おっと。
愚痴るのはその辺りにしましょう。
そんな人たちを守るのも自衛隊の仕事であり、私はそんな彼らの仕事に感謝と尊敬を送るだけで精一杯でしかないのですから。。。
追伸。
海軍カレー、普通に美味しかったです。
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■逆を言えば、さ。
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尖閣諸島は『日米安全保障条約第5条』の適用対象=米政府
尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる日中間の争いが深刻化するなか、「米政府は特定の立場を取らない」という見解を強調していたヌランド米国務省報道官は16日、「尖閣諸島は『日米安全保障条約第5条』の適用対象だ」との米政府の立場を表明した。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
ヌランド米国務省報道官の発言は、15日に香港の「保釣行動委員会」のメンバーおよび香港鳳凰衛視(フェニックステレビ)の記者2名が、尖閣上陸に上陸したことにより逮捕された後のものである。
米政界も尖閣上陸問題には非常に注目している。シュライバー元米国務省次官補(東アジア太平洋担当)は15日、「米政府は衝突が発生するのを避けることを望んでいる。しかし、もし衝突が避けられないのであれば、米政府は日米安全保障条約に従って、日本を守り、しかるべき結果に責任を取る準備をする」との見解を示した。(編集担当:米原裕子)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0817&f=politics_0817_031.shtml
コレって……アメリカは再三にわたって日本をけしかけているようにも聞こえるんですけれど。
ほら、尖閣狙われているんだし、後方援護をする用意はあるから、日本さん、あの生意気な中国という国をやっちゃってくれ……って。
それでも日本は黙っている訳ですが。
今の政府が云々は兎も角としても、日本人って大人しいし。。。
つーか。
逆を言えばさ。
大東亜戦争で真珠湾に奇襲を喰らったアメリカさんは、ハルノートで如何に無茶苦茶酷い要求を日本に突き付けていたか?って話じゃないでしょうかね~~。
北朝鮮に国民拉致されても、韓国に国旗燃やされ踏まれ天皇陛下を侮辱されても、中国に国土を狙われても、ロシアに不法占拠されてもまだ怒らないこの日本人に先制攻撃されている訳ですから。。。
まぁ、アレは外交官が宣戦布告を抜かっていただけ、らしいですが。
……そういう反省をアメリカが出来るようになれば、あの国は本当の一流国家になると思うのですが……
まぁ、あいつらの脳みそじゃ無理かなぁ。。。
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■何となく歴史観を語ってみる。
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まず、最初に。
世界では白人が侵略を繰り返しておりました。
アメリカ大陸の人間を皆殺しにして自国の領土と宣言、アジア各国の人々を虐殺し奴隷として扱っています。
残虐で暴虐な白人に対抗するため、日本も必死に侵略を逃れるために国力を増強していました。
そんな時です。
白人側は日本に対して全てのエネルギー・原料の輸入を停止し、資産凍結まで仕出かします。
嫌なら、必死に開発をした満州を譲れと言うのです。
今まで延々と侵略を繰り返した白人です。
その案を飲めば、日本は一切の抵抗も出来ず、奴隷にさせられるでしょう。
しかし、エネルギー資源や原料無しでは、日本人の半分が失業してしまいます。
仕方なく、日本は先制攻撃をしかけることで、活路を見出そうとします。
それでも物量差は如何ともしがたく、徐々に日本は劣勢を強いられます。
しかし、しかしです。
白人の暴虐はとどまることを知りません。
降伏しようとした日本兵を笑いながら殺す。
死体を弄ぶのが趣味なのか、頭がい骨をトロフィーとして飾っているのです。
硫黄島が落ちてからはますますその本性をむき出しにしてきます。
何しろ、非戦闘員しかいない日本の各都市を焼き払い始めたのです。
非戦闘員を狙わないというハーグ陸戦条約があったにも関わらず、です。
この状況で降伏できますか??
相手は非戦闘員だろうと……女子供だろうと笑いながら焼き殺す殺人鬼です。
死体を弄び、兵士が捕虜になることすら許さない虐殺魔です。
降伏すれば奴隷にされ、民族全てが虐殺と拷問の上に殺されると思ってもおかしくないでしょう??
だって、実際にアメリカ大陸に住んでいた原住民の方々はもうほとんど存在すらしていないのですから。。。
そうして戦争をしている内に、原爆が落とされました。
女子供どころか、町一つ消し飛ばす最悪の兵器です。
しかも、時間をおかずに二つも落とすのです。
このままだと……日本人が確実に皆殺しになるのが明らかになりました。
それよりは……あるかないかの慈悲に縋ろうと、日本は降伏の道を歩まざるを得なかった訳です。
私の歴史観ってのは、こんな感じ。
少なくともあの当時、アメリカってのは虐殺と侵略を繰り返す悪魔以外の何物でもありませんでしたし、降伏したところで奴隷にされ民族が絶えるかもしれなかったのは、まぎれもない事実です。
勿論、アメリカが戦略的な意味合いで日本において虐殺と支配・奴隷化を避けたからこそ、日本は何とか先進国と呼べるまでに回復しております。
が、しかし。
当時はアメリカがそんな政策を行うなんざ、全く予想も出来ません。
アメリカ大陸での虐殺、ハワイ諸島の侵略、そして東南アジアの植民地化と、3つある事例の3つともが最悪の事態を見せている訳ですからね。
これでアメリカが上手く日本を支配してくれると期待するヤツは一人もいないでしょう。
という訳で。
原子爆弾は悪であり、非戦闘員を虐殺した最悪最低の兵器である。
そして、その虐殺行為に対して一切の言い訳も許されるべきではない。
……と、私は考えております。
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■パターン死の行進??
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うぃきにも乗っておりまして、それなりに有名な代物かも、しれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2
それによりますと……
第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜民間人が、収容所に移動するときに多数死亡したことを言う。全長は120キロで、その半分は鉄道で運ばれ、残りを3日で歩いた。1日平均20キロの3日間の行進であった。
んで、何人も捕虜が死んだとかって話ですが……
ちょっと待てい!!
どんなにヤワなんじゃ、米兵!!
だって、一日平均20kmの三日間の行進で多数の死者が出るって……
ありえないでしょう!!
あのさ。
私の出身校……高知大学にはこんな行事が御座います。
室戸貫歩は、高知大学空手道部が部員の心身の鍛練のために始めた行事で、今年で記念すべき第50回目を迎えます。
高知市の朝倉キャンパスから室戸岬までの約90㎞を、夜を徹して歩くという過酷なレ-スです。
毎年、11月下旬~12月上旬の土曜、日曜日にかけて行われます。
……比べますと……
60kmを三日間かけて行ってバタバタ死んだ米兵。
90kmを一晩かけた歩くこの平和な時代の大学生。。。
……どんなにヤワやねん。
ま、確かにアメ公はこんな連中ばっかりだし……



こんな連中を歩かせたら、そりゃ死ぬわ……。
と、言いたいところですが、実際のところ、アメリカの肥満率が上がってきたのは80年代の貿易自由化の流れで安価な糖分(コーンシロップ)や油(パーム油)が大量に出回るようになってからです。
肥満率のグラフは入手できませんでしたので、食育関係のページからそれっぽい記述を取り出した訳ですが。
まぁ、間違ってはいないでしょう。
つまり。。。
パターン死の行進ってのは病気で死んだ人間はいたとしても、日本軍の虐待によって死亡者が多数出たというのはかなり懐疑されるべきだということです。
早い話が、コレって南京大虐殺と同じく、アメ公が日本軍を悪者にするためにでっち上げたただの嘘っぱちだという可能性が非常に高いってことですね。。。
ちなみに私がこのパターン死の行進を知ったのは、海外の反応系スレで中国人が日本軍を断罪する発言をしていた時。
まぁ、アメ公の嘘は戦後70年近く経っても我々を苦しめる題材になっているということです。はい。。。
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