■2011年08月
■国民的という概念に首をかしげる。
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一昨日、AKB48の新曲『フライングゲット』を買おうと思って
CD屋さんに行ったら、すでに品切れ!
発売初日に品切れだって?そんな馬鹿な話があるか!昨日再び行ったら、入荷しても1時間で売り切れると言うから予約してきた。
新聞報道で知ったが、『フライングゲット』は発売初日に100万枚を突破していたのだ!
23日だけで102万6000枚に達してたらしい。発売初日のミリオン突破はCDの売り上げとしては史上初ではないか?
『Everyday、カチューシャ』は総選挙の投票権を付けたから売れたのだとか、難癖つけてた奴がいたが、『フライングゲット』は投票権をつけなくても、もっと売れたではないか!
この徹底的にCDが売れない時代に初日に100万枚突破というのは、
せせこましいくだらん中傷を完全に吹っ飛ばした快挙である!
何しろパソコンでただでダウンロードしたり、
インチキな楽曲の入手が流行ってる時代にCDで100万枚なのだからすごい!
商法や戦略だけを分析して、この成功を評価するのも間違っている。
6年前に秋葉原の小劇場で彼女たちがデビューしたときは、客は関係者しかいなかったのだ。篠田麻里子は劇場の外でビラ配りをして、一般客を入れようとしていたのだ。
その彼女たちの真っ直ぐな努力、あくなきサービス精神、日々美しくなっていく目移りさせる魅力の数々、目を釘付けにするダンスの面白さ、秋元康の作詞のコンセプトの明快さと斬新さ、楽曲の素晴らしさ、これらのすべての創作努力の結晶が、巨大な「国民的スター」を誕生させるに至った。
いまどき「国民的」 と言えるスターの誕生はものすごく難しいと思われていた。
人々の趣味が多様化して「蛸壺化」 していると言われていたのだ。
これで今年のレコード大賞をAKBがとらなかったら、確実にインチキだろう。
しかしAKBがこれほどまでの大メジャーになってしまっても、
まだその魅力がわからない者がいるのが不思議である。
一体どこまで感性が鈍磨してるのだろう?
人々の趣味が「蛸壺化」してしまって久しい。
蛸壺の中で浦島太郎みたいに時代の変化を停止させ、
そのうちその蛸壺からもう出てこなくなったタコがいるのだ。
そして彼らが蛸壺から出てこなければならなくなったときには、
もはや自分がすっかり白髪で皺だらけになってることを知るだろう。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏・・・。
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jonpav8kr-13
……感性が鈍磨??
あのさ。
国民的アイドルの魅力が分からない人間は、感性がおかしいのですか??
まぁ、個人的にはAKB48よりはAK49の知識の方が遥かに実生活に役立つと思っていたりするんですが、それはさておきましても。
そもそも、感性ってのは人それぞれ違うものです。
小娘が好きな人がいれば、熟女が好きな人もいるのです。
筋肉質な女性を好む人もいれば、幼女しか愛せない人間も、二次元に逃げ込む人も、そして異性ではなく同性を愛する人間もいるのです。
音楽においてもそれは同じ。
ビートルズの音楽を聴いて良いと思う人がいれば、全く何にも感じない人もいらっしゃるでしょう。
私は彼らの音楽で好きなのは数曲だけ、という人間ですが。
逆に私が最高と思う新谷良子様の音楽を百人に聞かせて百人が良いと思うとは全く思いません。
それと同様に。
国民的アイドルが好きという人もいれば、嫌いという人もいるのです。
そもそもAKB48つーののどこが良いのかはさて置いても、万人に統一の感性を求めている時点でそれは……キリスト教やイスラム教における排他的信仰と全く変わりがありません。
自由主義ってのは、それぞれの感性とそれぞれの意見を認め、その中で自分の意見を保ち、お互いがお互いを尊重しながら社会を成立させていくという考え方です。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
何度かこのブログでも引用させて頂いた、ヴォルテールの言葉ですが。
この小林よしのりという人間。
漫画家でありながら、自分が今言いたいことを言える根源でもある「思想・言論の自由」を他者に認めようとしない発言をしているのです。
大体、他人の好きなものを否定したり、自分の好きなものを相手に無理やり押し付けたりしたら、それは問題が起こるに決まっているじゃないですか。
勿論、好きなものを勧めるのは悪くありません。
私だってこのブログで何度も何度も何度も何度も新谷良子様の音楽を勧めております。
【PV】 新谷良子 CANDY☆POP☆SWEET☆HEART 投稿者 pinkparty47
が、それはあくまでも「こういうのはどうですか?」って相手の自由意思に任せる勧め方です。
嫌がる相手に無理やり押し付けたり、好きじゃないと否定した相手を貶めるようなことをするつもりはありません。
勿論、意味もなく私の前で新谷良子様を貶めるような発言をした人間は、全力で報復するでしょうけれど。
好きなものを貶されるというのは、それだけ腹立たしいものなのです。
だから。
いくら自分の好きなアイドルがちょっとばかり人気が出てマスメディアに国民的アイドルなんてレッテルを張られて調子に乗っていたとしても。
それを認めない、それが嫌いな人間を自分より下の人間だと見下すなんてもってのほかなのです。
自分が主流派と思う人間こそ、こういう思想で他者を攻撃します。
それこそが差別の根源です。
私はマイノリティを含めて思想・言論の自由を訴える左翼の人間を自称しております。
とはいえ、自由には責任が伴うのは当然であり、義務を果たした上での権利主張という、人間として当然の前提を満たした上での自己主張についての話なのですけれども。。。
そういう私から見れば、このような、自分以外の思想・感性を全く認めない人間は、最悪の多数派であり、異端審問で虐殺を行うタイプの人間だとしか思えないのです。
ま、ちょっと言葉は過ぎますが。。。
……こういう、自分以外の感性を認めず、見下してくる人間って大嫌い、です。
勿論、氏がこういう言葉を口にする自由は認めますけれど。
そうやって誰かを見下し・貶す発言をした以上、その相手から嫌われることもまた、その発言をする自由に付きまとう責任なのです。
だから、私がこうして氏を嫌う言葉を口にすれば、氏のことを好きな誰かからはやっぱり嫌われてしまうでしょうけれど。
それでも、私の信念である「思想・言論の自由」を貶める発言をした氏に対して、何か一言くらい発しないと気が済まなかった訳なのですよ。。。
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