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■だからどうして暴力面ばかりを……

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石原慎太郎 「子供の不良性は個性だから抑制すべきではない」

震災と原発事故の不安に国民が震えた昨年、改めて「強い父親」が求められた。かつて『スパルタ教育』(光文社)という本を上梓し、「父性」の復興を唱えてきた石原慎太郎・東京都知事(79)にプロインタビュアー、吉田豪氏が石原流教育論を聞いた。
* * *
――いってもわからない時期(のしつけや体罰など)はしょうがない。
石原:体罰はいいんだ。身にしみるからね。残虐行為とは全く違う。立たせるとか男のお尻をたたくとか、せいぜい平手打ちを食らわすぐらいあったっていいと思うな。やっぱり、しつけですよ。しつけっていうのは刷り込みなんです。たとえば九九算ですよ。あれは計算じゃなくて、刷り込みで暗記してる。それをやらなきゃダメです。それをある年齢まで来たときに、とにかく半ば強制的にやれるのは集団生活しかないから。
――そう主張するのも大変だと思うんですよ。(戸塚ヨットスクールの)戸塚宏さんがあれだけ叩かれたわけじゃないですか。『スパルタ教育』を出したときも、すごいベストセラーになったとはいえ、批判も多かったんじゃないかと思って。
石原 多かったですよ。子供は殴れと書いたから。ただ、そう書いたかもしれないけど、俺はあんまり殴ったことないんだよな(笑)。
――そうだったんですか! 「暴力の尊厳を教えよ」とか「子供を殴ることを恐れるな」とか書いてたのに!
石原:うん。必要あったら殴りますよ。僕も殴られたことあります、親父には。小学5年生か6年生のとき、裕次郎を連れてボートで川遊びしてたら、水が引いて戻れなくなっちゃった。もう月が出てて。
当然、親は心配するわけだ。それで帰ったら、親父が「貴様ら、いったい今までどこへ行ってた!」、裕次郎は要領いいから僕の陰にパッと隠れてね。僕が「すみませんでした。じつは裕次郎は私が連れて行ったんだから、ぶつんなら僕をぶってください」っていったら、親父が1回パーンと、しかしあきらかに加減して殴ったよ。そのときは殴られて当たり前だと思ったし、親の愛情も感じましたけどね。
――ちなみに『スパルタ教育』では、「子供の不良性の芽をつむな」とも主張されてましたけど。
石原:ああ、何をもって不良というかよくわからんけども。やっぱりほかの人間と違ったっていいんで、そこが人間の個性なのに、それをあんまり抑圧してもしょうがない。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号

http://www.news-postseven.com/archives/20120104_78648.html



個人的に石原氏は嫌いですが、言っていることは間違ってないと思いますよ??

……思いますけれど。

こういう論調の場合、何故『体罰』ばかりが表に出てくるのでしょう??
私は我が子を持ったことはありませんので、基本的に知識だけで語りますけれど……。

子供、というかしつけと教育は全て信賞必罰です。
怒るばかりでは委縮してしまい、上記のように個性がなくなるでしょう。
だから、個性を伸ばすように……良いことをしたら褒めなければなりません。

同時に、褒めるばかりでも意味がありません。
何故ならば、子供にとって親に褒められる=認められるですから、その行動ばかりをするようになってしまいます。
その内、調子に乗って本当に良い行動の範囲から外れてしまった時、今までが褒められるばかりだったから何が悪かったのかを全く学習しない、ようはあまり頭のよろしくない子供に育ってしまうでしょう。

こういう記事を読む限り、世の中に出回ってくる教育論ってかなりの割合で偏っていると思うのです。
叱ることと褒めることは斬って離せませんし、そうやって子供は善悪を覚えていきます。
最低限の善悪を覚えたからこそ、学校という集団生活でそれぞれの善悪を持った相手との関係性……つまりが、社会性を学べる訳です。
その最低限の善悪を学ぶためには、叱るばかりでは話になりませんし、褒めるばかりでも話になりません。
そして最低限の善悪すら頭に入ってないと、社会生活……つまりが学校で学ぶべき社会生活の基本すら身につかなくなる訳です。

どうも体罰禁止とか、虐待がどうのこうのとか、そういう極端な論調でしか教育を語らない風潮が目につくので、教育素人ながら、適当に語ってみましたが。

ついでに、石原氏は気に入らないので一つだけ噛み付いてみると……。
氏自身も何を持って不良と言うか分からないと述べていますが……不良性が個性じゃないのでしょう。
反社会性と言うか、周囲と協調出来ない部分こそ、個性であるというべきです。
ですが、悪いことは悪いのです。
誰かに迷惑をかければ、それは悪で、そういうのをこそ不良性というべきです。

そして、それを放置するのは教育ではありません。
勿論、痛い目を自分で見なければ分からないような、そういう教育方法もありますけれど。

周囲に溶け込めない……子供の平均値からはみ出してしまう……それは個性です。
ですが、誰かに迷惑をかけながらも自分の道、と言うか欲望のままに突き進もうとするのが不良性、と言うでしょう。
この差は大きくて、盗んだバイクで走り出すってヤツを個性と言って許容するか、窃盗と言って犯罪とするか。
そういう大きなレベルの差異だと思う
のです。

私は子供にとって個性は大事にすべきだとは思いますが、不良性は要らないと思います。
勿論、不良性は個性の一部ではあるでしょうが、生憎と不良性っていうのは誰かに迷惑をかけることで……つまり誰かの犠牲の上になりたっているのです。
そして、誰かの犠牲の上でなければ育たないような教育なんて、大量のモルモットを犠牲にしてこそ伸びる、医学くらいで十分です。
そもそも教育というのは、社会に出た時に他人に迷惑をかけないように……他人に迷惑をかけることで、結果として自分が大きな損を被らないように学ぶこと、なのですから。。。

と、まぁ、今日は珍しく教育について語ってみました。
残念ながらこればっかりは本当に門外漢なので、本当にただの自説でしかありませんけれど。。。


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