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■報道に自由が与えられている意味

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「反増税派を番組に出すのは勇気いる」とTVディレクター証言

野田佳彦・首相が年頭会見で消費税増税を「ネバー・ネバー・ネバー・ネバー・ギブアップ」と語るなど、露骨な増税路線が敷かれ始めた。財務省による大新聞、テレビを巻き込んだ世論工作も活発化している。メディアに対しても元経産省官僚の古賀茂明氏ら反増税派言論人の露出をやめさせるべく圧力をかけている。
反増税派きっての論客、元財務官僚の高橋洋一・嘉悦大学教授も標的にされた一人だ。財務省内では「高橋はブラックリストの筆頭」(同省有力OB)とされ、高橋氏も、「最近、対談の企画や討論番組への出演依頼の後、『今回はご遠慮させていただきたい』とキャンセルされるケースが何度かあった」と語る。
たとえテレビ出演が実現しても、重要な発言がカットされる現実に直面した。
昨年末、高橋氏は民放テレビの討論番組で増税派の財務省OB議員らと「国家経済破綻」をテーマに議論を戦わせたが、オンエアを見て驚いた。
「収録で私が増税派の人たちに『では何年後に財政破綻すると思うか』と尋ねると、『3年』だという。しかし、実は、市場では日本国債のリスクをはかるCDS金利(※)は1.3%と低い。
世界の金融のプロは日本の財政状況は数十年に1回の低い確率でしか破綻しないと見ている。ギリシャのCDS金利は60%以上だから全く評価が違うわけです。もし、本当に日本が短期間で財政破綻するというなら、政府が自らCDSを買えば大儲けできる。そのことを指摘すると彼らは誰も反論できなかった。
また、震災復興などの財源は増税ではなく、国債の日銀引き受けで十分できる。私が小泉・安倍政権で官邸にいた時は実際にそうやったと指摘して増税論を論破したが、その議論はほとんどカットされていました」(高橋氏)
その裏には何があるか。民放テレビのあるディレクターが明かす。
「高橋氏や古賀氏を番組に出すのは勇気がいる。財務省に睨まれて『あの発言の根拠は何か』と抗議が来るからだ。局の上層部はそれが怖いから、せっかく出演してもらっても収録後に発言やデータをチェックし、財務省の心証が悪くなりそうな部分はカットして自主規制する傾向にある」
言論機関の自殺である。
※CDS/クレジット・デフォルト・スワップの略。国債や社債、貸付債権などの信用リスクを対象としたデリバティブ商品のこと。デフォルト(債務不履行)の可能性が高いほど金利が上がる。
※週刊ポスト2012年1月27日号

http://www.news-postseven.com/archives/20120118_80882.html




何故、報道に権力が介入せず、自由が与えられているか??
それは、報道機関を第三の権力として自由にすることで、国民が政府の影響を受けることなくその行動を客観的に確認し、政府の行動の是非を問える社会にするためです。
つまり、選挙という政治システムを……民主主義を確立するために絶対に必要な装置なのです。

それを知っていたからこそ、自民党末期、報道の偏向が凄まじかったにも関わらず、自民党は彼らを権力によって規制するような真似はしませんでした。
それが将来、もっと大きな問題を招くかもしれなかったから、でしょう。
ちょっと詳しく説明すると、前例が出来てしまえば真似をしようとする人間が必ず出てきます。
今回は例え報道の偏向が原因だとしても、自らの政党に不利な報道に規制を加える行為を容認したとしましょう。
そうすると……次には必ず、報道の偏向の有無に関わらず自らの政権を有利にするために報道を利用する人間が出てくる訳です。

安部・福田・麻生政権の是非は色々とありますが、自らのために報道に規制を加えなかった自制心というものは間違いなく評価出来ると思います。
彼らが権力の椅子にしがみつくでもなく、ただするべきことをしていたという最大の証拠でもありますね。

が、しかし。
その所為で報道機関が調子に乗ったのもまた事実でして。。。

現在、その報道の自由という、権力を監視するために必要だからこそ権力側からの規制を受けなかった部分が、こうして報道機関の自発的な意思により、全く意味をなさなくなっております。

これでは、何のための報道の自由があるのでしょう??
犯罪被害に遭って泣き叫ぶ母親にマイクを突き付けるなど、好き勝手をしても構わないのが報道の自由ではありません。
己の身に危機が迫ったとしても権力の真実を暴き、国民に正しい情報を与え、正しい意思表示……投票を促すためにあるのが報道の自由なのです。
そうして記者や新聞社が己の身と引き換えに報道を行わなければならないような、最悪の言論統制を避けるため、権力側は自分に不利になるかもしれないのに、わざわざ報道を自由にさせているのです。

その権力にも逆らえるような権利を、権力に頭を垂れて自発的に放棄している。

これでは、報道の自由を与える意味がありません。
行政を監視する第三の権力としての役割を自ら放棄した訳ですからね。


だから、断言させて貰います。

もはや、報道機関は存在する意味を失っている……と。


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