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慰霊の日/史実の風化許さない 沖縄戦の教訓を次代へ
2012年6月23日

 戦後67年、慰霊の日がまた巡ってきた。きょう23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が催され、県内各地の慰霊碑でも祈りがささげられる。
 激しい地上戦に日本軍が意図的に住民を巻き込んだ結果、おびただしい命が失われ、生き残った者も無残な生を強いられた。
 こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動きが近年、活発化している。先人が味わった辛酸を、無念を、決して無駄にしてはならない。次代にその教訓をつなぐ使命の重さを、鎮魂の日にあらためてかみしめたい。

珍妙な理屈

 今年3月、県は首里城公園内に旧日本軍第32軍司令部壕の説明板を設置した。沖縄戦史の有識者で構成する設置検討委員会がまとめた説明文から、日本軍による住民虐殺の記述と、壕周辺での「慰安婦」の存在を示す記述を削除しており、削除への批判を押し切っての設置だった。
 県の説明は実に珍妙な理屈だった。虐殺については「あったという証言と、なかったという証言の両方があって不確か」だから削除したという。「あった」というのは目撃証言であり、虐殺の存在をまさに証明するものだ。これに対し「なかった」という証言は、本人がその場にいなかった、目撃しなかったことを示すにすぎない。これを同列に扱い、「見ていない」旨の証言で目撃証言を消去するとは、この種の証言史料を扱う態度として、およそ信じがたい。
 まるで、ナチスのユダヤ人連行を見たことがない人がいたから、「アウシュビッツの悲劇は存在しない」と強弁するかのような暴論だ。こんな理屈は世界に通用しない。
 「慰安婦」についても同様だ。第32軍司令部の史料にも軍が女性75人を南部に移動させる命令があり、いくつかの証言から辻の料亭や朝鮮人の女性たちが「慰安婦」にされ、壕内にいたことは分かっている。だがこれも、「見ていない」人がいたから「なかった」ことになった。
 これらは県教育庁が今年まとめた「沖縄戦日本軍史料」でもあらためて明らかになったものだ。住民虐殺や「慰安婦」の存在は2007年の県平和祈念資料館の証言集でも既に明らかだ。県は自らの資料で明らかな事実を、消去したことになる。
 昨秋、説明文の内容が報じられた後、県に電話やメールで80数件の記述削除要求が来た。この動きが、県の削除の背景にあったのは間違いない。

頼もしい動き

 多くの証言があるのに史実をねじ曲げるのは、歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)軍命削除検定とも通底する。一部のグループの圧力で沖縄戦の史実がなかったことにされるのを許してはならない。
 時がたち、生存する目撃者がいなくなれば、一部のグループは今以上に史実をなかったことにしようとするだろう。史実をきちんと次代に引き継ぐことの重要性が、今ほど問われる時期はない。
 その意味で、最近の若い人たちの動きは頼もしい。
 自治体の平和学習事業を体験した高校生や大学生が、沖縄戦を語り継ぐ活動をしたり、病院壕のガイドをしたりしている。本紙連載「未来に伝える沖縄戦」で体験者の話を聞いた中学・高校生は、友人や次の世代に語り継ぐ決意を語っている(本紙22日付)。
 史実を風化させようとする動きへの抵抗の意思が、無意識のうちに広まりつつあるのではないか。こうした継承の機運を広げたい。
 軍隊は住民を守らないという教訓、軍の存在が島に敵の攻撃を呼んでしまったという教訓、命こそが何よりの宝であるという教訓を、われわれは沖縄戦という甚大な犠牲を払って学んだ。
 昨今の自衛隊配備強化の動きは、その教訓に照らして正しいと言えるのか。戦争につながる動きは注意深く排除したい。


http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-192945-storytopic-11.html



……慰安婦なんてアホな言葉が上がっている時点で、このニュースが論ずるに値しない、所謂論外だというのは分かって上で突っ込ませて頂きますが。

「軍隊は住民を守らない」訳ではありません。
現に、自衛隊の皆様による震災被害者救助活動は未だに記憶にも新しい出来事です。
そりゃ、守れるなら守ろうとするに決まっているじゃありませんか。


ただし。
軍隊も人間の集団です。
守れる以上の数と物資に圧されれば矢折れ力尽き……住民を守るにも限度があるでしょう。
勿論、国軍である以上、国民の生命と財産を守るのが彼らの任務ですから、それは言い訳でしかありません。
大東亜戦争は白人の人種差別支配構造を打ち勝ったから日本軍は勝利した……なんて意見を述べる方々もいらっしゃいますが、私は「国民の生命と財産を守る」という軍隊唯一にして最大の仕事を果たせなかった時点で、あの戦争は負けたと思っております。
ついでに、政府は未だに敗北の責任を取っていないとも……
(平和を乱した罪とか戦争犯罪とか中国・韓国に対するアレとかは全く別です。純粋に自国民を守りきれなかったという責任を取ってないという意味です)

と、それは兎も角。
だからと言って、軍隊が国民を守らない訳じゃありません。
あの大東亜戦争を戦ったのは何のためですか??
正直な話、レーテ海戦とは言いませんが、硫黄島が落とされた時点で、軍部はもう勝算なんて欠片もないことは分かっていたハズです。
でも、戦いました。
何のために??
自らのプライドのため??
軍部の権力のため??

……んな訳はありません。

鬼畜米英の侵略・植民地化から国民の生命と財産を守るため、最後の一兵になるまで戦おうとしたのではありませんか。

そんな理由でもなければ、負けの分かった戦を戦えるハズがありません。
だって、死んでいるのは……まだ硫黄島が落ちる前は本土爆撃もされてない頃ですから、死んでいるのは純粋に軍部の人間なんですよ??
死を犠牲を目の当たりにし、数字でそれを実感している軍部が、無駄と分かっている犠牲を強いれる訳もないのです。
軍部の人間が死んでいるのに、軍部の予算や権力なんかのために闘い続けられる訳がないでしょう??
彼らが戦ったのは、全ては国民のためです。
沖縄を撤退せざるを得なかったのも、沖縄の国民よりも本土の国民を……言わば少数よりも大多数を守ろうとしたからで……
見捨てられた人たちにとって、それが何かの慰めになる訳でもないのは重々承知の上ですけれど。

ただ、それでも。
軍部は国民を守らないのではありません。
「守れない」と「守らないの」では大きな差があるとは思いませんか??
少なくとも、あの当時の……沖縄戦で犠牲になった軍人の方々がいらっしゃる以上、彼らがただ平然と沖縄の国民を見捨てて、何の手立ても打たなかったと言われるのは……
それは、沖縄戦で犠牲になった英霊の方々を冒涜し過ぎだと思います。



と。
酒の勢いと戦争犠牲者をあまりにも冒涜した意見でちょっと加熱してしまいましたが。
言っていることは私の意見で間違いありません。
尤も。
税金を貰い、国民の生命と財産を守る任務を背負っていながらも負けた以上、あの当時の軍部の方々には「守らなかった」という言葉に一切の反論する余地がないのは重々承知ではありますけれど。
だからこそ。
軍部とは一切の関係のない私みたいな一般人が、こういう意見を述べなければならないと思った次第。。。


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