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■暴力の話

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世界は暴力で成り立っています。
……そう語ると、首を縦に触れない方が多数を占めると思います。

ですがコレは……社会の真理でもあるのです。
この治安が世界で最高だと言われる日本においても、それは正しい真理だと思います。

まず、大昔。
凡そ、縄文時代と呼ばれるような時代。
社会構造というものは、純粋に力だけで成り立っていました。
狩りの巧い……即ち、腕力・体力・技量のある大柄な人間のみが優秀
完全に体力・腕力・技量に優れた男性優位……そういう世界だったのは間違いないでしょう。
そして、そういう雄こそ、食料を沢山得ることが出来、雌を沢山侍らした。
つまり、体力・腕力・技量……そういうのを得た人間こそ、社会の頂点となれた訳です。
そして、それら暴力を持つ人間が最も優れているからこそ、暴力を持った人間に群れの中では誰も逆らえない。そういう社会になっていただろうことは容易に想像できます。
つまり、純粋な暴力こそ、社会を動かす力……そういう時代だった訳です。

ですが、そんな社会にも変化が訪れます。
弥生時代……稲作の、貯蓄の開始です。
ここで漸く、貧富の差というのが現れてきます。
そして、富める者は自らの力と富を護る為、社会にルールを敷くのです。
即ち、権力の始まりです。
正確には、農業を営む上では、今までのような狩猟生活とは異なる……群れ総数の増加と貯蓄を覚えることに伴う社会システムの変化に対応するために法が生まれ。
そんな社会システムに対応できた人間こそ、権力を得ることが出来た。
それが真相だとは思いますけれど。

ま、そんな訳で、弥生時代以降、権力という力が生まれました。
そして、権力という力は、あっさりと純粋な暴力を上回ります。
何せ、如何に暴力という力に優れていたとしても、所詮は一個人の暴力。
呂布奉先じゃあるまいし、社会全て……数千人を相手になぎ倒す力を持つ人間なんてそうはいません。
法という社会システムの前に純粋な暴力はあっさりと膝を折ってしまいました。

ですが、だからといって暴力がなくなった訳じゃありません。
社会を支配していた純粋な暴力は権力と姿を変えただけで、やっぱり誰かを虐げ続けました。
唐衣 裾に取り付き 泣く子らを 置いてそきぬや 親無しにして
有名な万葉集の一節ですが(高校の授業以来で記憶頼り。あってるかな?)、権力に泣かされる一家を上手く表現していると思います。
つまり、純粋な暴力は権力に封じられ民衆を痛めつける権力という新たな暴力が社会に発生したという訳です。

それから暫くは権力の蜜月が続きます。
もっとも……源平合戦を始めとする、武士の台頭により、権力が暴力で覆されるという出来事も幾つかありましたが、それはあくまで権力が暴力の力を借りて入れ替わっただけのこと。
あくまで社会を覆う最大勢力は権力だった訳です。
資本……お金も確かに力を持っていましたが、鎌倉時代の徳政令を見ても分かるとおり、まだこの時代では資本というものは権力に勝る力とは成り得ていませんでした。

だけど、時代は変わります。
時は戦国。安土桃山時代。
かの有名な織田信長は、傭兵というシステムを自軍に本格的に導入します。
同時に、軍資金を堺の商人に頼るなど、資本主義を取り入れた社会システム、軍事システムを積極的に取り入れて、日本の統一を目前にまで果たします。
これは即ち、権力に資本力が食い込んできた証とも言えるでしょう。
そして、江戸時代。
参勤交代を見て分かる通り、徳川家は……権力を以って各地大名の資本力を削ることに専念していました。
つまり、権力>資本力というのがまだ成り立っていた訳です。

ですが、戦後、そのシステムにも変化が訪れます。
三権分立。普通選挙制。
権力は純粋に権力としてその威を誇れなくなったのです。

そうすると力を増してくるのが資本力
勿論、独占禁止法やら政治献金規制法やら……私設の軍隊を禁じている法律などがあるくらいですから、現代では未だに資本力が権力を完全に上回っているとは言い難い世の中です。
ですが、資本主義の現代。
資本というのは既に暴力の域まで達していると言えるでしょう。
下請け虐めや、雇用差別。パワハラ等が成立するのは、単に資本が暴力と化すのに十分な力を得ている証拠とも言えます。

ちなみに、現代の社会問題も殆どが資本主義という名の暴力が原因なのです。
マスメディアも、スポンサー(パチンコ屋)という資本に逆らえず、もしくは、売り上げ部数という資本主義的思考に逆らえず反日、社会不安を煽る記事ばかりを垂れ流し。
行政は行政で、資本を握っている大蔵省のご機嫌伺いばかりを繰り返すため、現在の社会不安解消のために必要な国債発行も出来ずに居ます。
日本の中小企業が自転車操業を繰り返すのも、大企業の下請け虐め……資本力を背景にした強要が問題な訳でして……

……勿論、資本主義が全て悪いと言うつもりは欠片もありません。
資本という形無い概念に踊られ、人間の欲望が加速した結果社会が混乱しているというのが正解だと思いますし……
ただ、資本主義という……資本という絶対の暴力に支配された世の中は、やっぱり間違っていると思うのです。

モンテスキューの掲げる三権分立という構想があります。
司法・立法・行政の三者が相互監視をし続けるというシステムです。
私は一時期、現代社会がそれに則れば資本主義絶対の世の中を防げられるとも考えました。

……考えてみたら、凄い世の中になりました。

だって、暴力、権力、資本の三者がにらみ合う世界ですよ??

権力が暴力と資本を牽制するのは分かります。
刑法とか独占禁止法とかで監視する訳ですから。
そして、資本が権力と暴力に影響するのも分かります。
企業献金とか警備団を雇うとか、そういう話ですから。

ですが、三つ目……暴力が権力と資本を監視するという構図がある時点で、社会が無茶苦茶になってしまいます。
暴力が権力を覆す……即ち、革命
暴力が資本を覆す……即ち、強盗
この両者を認める社会こそ……暴力、権力、資本の三者がにらみ合う世界の構図なのです。
……はっきり言って、どんな無法地帯ですか。。。

だからこそ、私は第四の暴力出現を期待しております。
社会システムが複雑化すればするほど、一方的な暴力や差別は無くなるからです。

ですが、どれもこれもあっさり資本に屈する程度の力しか持ち合わせて居ません。
報道という力は、スポンサーの意志にあっさりと屈してしまいます。
世論という力も、報道によってあっさりと流される程度でしかないのは、先の衆議院選挙でご存知の通りです。
宗教という力は……歴史を鑑みる限り、権力と資本力にあっさりと靡く傾向があり、とてつもなく危険です。。。
人権も……あっさりと庇護対象を裏切り、資本稼ぎに走り去ってしまっています。

だからこそ私は、仁義八行などの道徳や、権利と義務の意識、もしくは民族意識などの拠り所をもって、暴力、権力、資本力の三つの暴力への対抗手段としたいと考えているのです。
が、人間の自律意識というのが当てにならないのも周知の通り。

そういう訳で、私は……そう簡単には覆せない、暴力、権力、資本力に並び立つもう一つの暴力が欲しい訳です。
それこそが、世界を救う、最も簡単な解決手段だと思うからです。。。


……今日はちょっとアルコール入っていますので、お見苦しい点があれば失礼します。
ちなみに呑んだのは、船中八策。かの坂本龍馬が船の中で日本を救うための八つの策を練ったと言われている。その由来から名前を頂いた日本酒です。
この社会不安の世の中。
これほど呑むに相応しい酒は他にないと、私は断言させて頂きます。。。


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