■2010年04月
■死刑制度について語ってみる。
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中国で麻薬密売を行っていた邦人が死刑となりました。
まぁ、私からしてみれば、もう自業自得以外の何物でもないんですけどね。
50グラムで死刑のところを、2.5キログラムも持っていたんですから。。。
そんな訳で、自称左翼、客観的に見れば右翼と大差ない主張をしている私が、死刑制度について語ってみます。。。
最初に申し上げますと、私は死刑許容派です。
以前に書いた記事がありますので、ご紹介をしときます。。。
http://umama01.blog.2nt.com/blog-entry-107.html
何故私の主張を最初にこうして紹介したかというと、途中で話が交錯するからなのですけれど。。。
あの当時から言うと、私も少しだけ近代国家観を勉強し、主張が少し変わってしまったことを、ここでお詫びしなくてはならないというのもかねております。。。
ってな訳で、まずは近代的国家のあるべき刑罰を考えてみましょう。
実のところ、近代国家のシステム的に考えると……死刑という制度は間違っております。
何故ならば、近代国家の懲役というシステムは社会復帰プログラムとしての役割しかないからです。
つまり、懲役刑を加えることによって、犯罪加害者が社会に復帰できるように更生させ、社会治安を守る。
……それが、近代国家の治安維持手段です。
だからこそ、死刑反対派が死刑反対を叫ぶことも実のところ理解出来るのです。
どんな犯罪を犯した人間であろうとも、しっかりと学習さえすれば社会復帰が可能と考える側面は、確かに近代国家としては必要なのかもしれません。
十人殺しても三百年くらい反省すれば社会復帰は可能と考える点において、そういう懲役刑を課す海外の司法制度は……近代国家の治安維持システムとして筋を通しているとは思いますし、それはそれで正しいのでしょう。
個人的には未だに、生存中に社会復帰不可能な犯罪者を生かしておく意味なんてないと思っておりますけれど……少なくとも死刑反対派の理論だけは理解出来るようになりました。。。
けど、そうやって近代国家観を考えると……正直な話、犯罪者に対してGPSをつけるという発想は、実は近代国家の治安システムの定義を見失っているんですよね。
だって、どんな犯罪者でも刑期を終えれば社会復帰できるプログラムがあり、それに基づいて懲役期間を設定しているのですから。。。
再犯してしまうのは、単に懲役期間が足りないからです。
反省し、真人間に戻るには学習する時間が足りていないのです。。。
同時に、弁護士は検察側が要求してきた「その犯罪者が社会復帰可能な懲役期間」を超過していると判断した場合のみ、その犯罪者の弁護に回り、過剰な懲役期間が与えられるのを防ぐという役割の筈なのです。。。
正直な話、私は弁護士が……死刑反対派の弁護士がこの近代国家の治安維持システムをしっかり理解した上で、死刑制度に反対しているとは欠片も思えません。
何故ならば、ドラえもんがどうのこうので光市母子殺人事件の容疑者に無罪を要求していたことを考えると、この事件を担当した弁護士達はあの元少年Aがそのまま社会復帰を果たしても正常に生活出来ると判断していたことになるからです。
少なくとも強姦目的で他人の家屋に押し入り、子供を床に叩きつけて殺し、しかも死体を押入れに隠すような人間が、翌日から二度と犯罪を犯すこともなく社会復帰できるだろうとは、私は思えないのです。。。
そんな彼らが死刑制度に反対していたとしても、そんな人を見る目もなく、職務遂行義務すら果たさない人間の主張が、受け入れられると思っているのでしょうか??
っと。
話がずれました。あの弁護団に関しては、私は未だにかなり怒っているので。。。
取りあえず、上記理由により、近代国家の治安維持システムとしては死刑というのは理に適っていない制度なのです。
だけど。
だけどですよ??
この近代国家の治安維持システムには、一つだけ大きな欠陥があるのです。
被害者感情を一切無視しているという欠陥です。
はっきり言いますけれど、このシステムは人命を最大限に守った上で治安を維持するという目的しか果たせないシステムなのです。
刑罰の重さによる犯罪抑止力も、被害者感情も一切考慮されておりません。
確かに人間の自由意志を最大限に尊重するという近代国家としては、犯罪抑止力という発想は間違っているのでしょう。
他人の刑罰を喜ぶような、被害者感情というのを認める訳にはいかないのかもしれません。
でも、犯罪被害者はそれでも生きていかなくてはいけません。
被害者自身は殺されたにしても、その遺族は恨みも果たせず、常に社会と加害者を憎んで生きていくでしょう。
それが認められるのでしょうか?
そんな世の中で正しいと思うのでしょうか??
私は、間違っていると思います。
全ての人権や自由意志が認められる近代国家観。
その思想は確かに正しいと思いますけれど、自由意志の前に遵法意志が、権利の前に義務が来ると思うのです。
だからこそ、私は抑止力としての、被害者感情の発散としての死刑は認めざるを得ません。
個人的には死刑ではなく、過酷な労働条件下での強制労働刑が欲しいんですけどね。
死刑にして終わらせるくらいなら、一生重労働を課し死ぬ際まで重苦を味わせ続けつつ、国家生産力の足しにした方が遥かに生産的だと思うのですよ。。。
そう考えると、中国の麻薬密売が死刑というのは実のところ近代国家としては間違った刑罰だという結論になります。
でも、中国は清国時代に阿片戦争を経験しております。
一度、麻薬で国家が滅びかかった経験があるのです。
だからこそ、麻薬には厳格であり……抑止力としての死刑を維持しているのでしょう。
それは中国内部の政治姿勢であり、日本がどうのこうの言える話ではありません。
国家の役割は……国民の生命と財産を守ることです。
中国が麻薬を死刑としなければ国民の生命と財産を守れないと判断しているのであれば、それは他の国家が云々言えるものではありません。
それを理解できない連中は、中国の死刑に対して異論を申し立てるのでしょうけれども。。。
私は基本的に他国の司法には国家として関わらない方が良いと思っております。
少なくとも、それがお互いを認め合う国家関係ですから。
……まぁ、アメリカのトヨタ叩きや、韓国のガンダムはロボットの一般名詞判決等……国家が歪んだ司法に直接関わってくる場合は、こちらも国家レベルで対抗するのが筋だとは思うのですけれども。。。
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まぁ、私からしてみれば、もう自業自得以外の何物でもないんですけどね。
50グラムで死刑のところを、2.5キログラムも持っていたんですから。。。
そんな訳で、自称左翼、客観的に見れば右翼と大差ない主張をしている私が、死刑制度について語ってみます。。。
最初に申し上げますと、私は死刑許容派です。
以前に書いた記事がありますので、ご紹介をしときます。。。
http://umama01.blog.2nt.com/blog-entry-107.html
何故私の主張を最初にこうして紹介したかというと、途中で話が交錯するからなのですけれど。。。
あの当時から言うと、私も少しだけ近代国家観を勉強し、主張が少し変わってしまったことを、ここでお詫びしなくてはならないというのもかねております。。。
ってな訳で、まずは近代的国家のあるべき刑罰を考えてみましょう。
実のところ、近代国家のシステム的に考えると……死刑という制度は間違っております。
何故ならば、近代国家の懲役というシステムは社会復帰プログラムとしての役割しかないからです。
つまり、懲役刑を加えることによって、犯罪加害者が社会に復帰できるように更生させ、社会治安を守る。
……それが、近代国家の治安維持手段です。
だからこそ、死刑反対派が死刑反対を叫ぶことも実のところ理解出来るのです。
どんな犯罪を犯した人間であろうとも、しっかりと学習さえすれば社会復帰が可能と考える側面は、確かに近代国家としては必要なのかもしれません。
十人殺しても三百年くらい反省すれば社会復帰は可能と考える点において、そういう懲役刑を課す海外の司法制度は……近代国家の治安維持システムとして筋を通しているとは思いますし、それはそれで正しいのでしょう。
個人的には未だに、生存中に社会復帰不可能な犯罪者を生かしておく意味なんてないと思っておりますけれど……少なくとも死刑反対派の理論だけは理解出来るようになりました。。。
けど、そうやって近代国家観を考えると……正直な話、犯罪者に対してGPSをつけるという発想は、実は近代国家の治安システムの定義を見失っているんですよね。
だって、どんな犯罪者でも刑期を終えれば社会復帰できるプログラムがあり、それに基づいて懲役期間を設定しているのですから。。。
再犯してしまうのは、単に懲役期間が足りないからです。
反省し、真人間に戻るには学習する時間が足りていないのです。。。
同時に、弁護士は検察側が要求してきた「その犯罪者が社会復帰可能な懲役期間」を超過していると判断した場合のみ、その犯罪者の弁護に回り、過剰な懲役期間が与えられるのを防ぐという役割の筈なのです。。。
正直な話、私は弁護士が……死刑反対派の弁護士がこの近代国家の治安維持システムをしっかり理解した上で、死刑制度に反対しているとは欠片も思えません。
何故ならば、ドラえもんがどうのこうので光市母子殺人事件の容疑者に無罪を要求していたことを考えると、この事件を担当した弁護士達はあの元少年Aがそのまま社会復帰を果たしても正常に生活出来ると判断していたことになるからです。
少なくとも強姦目的で他人の家屋に押し入り、子供を床に叩きつけて殺し、しかも死体を押入れに隠すような人間が、翌日から二度と犯罪を犯すこともなく社会復帰できるだろうとは、私は思えないのです。。。
そんな彼らが死刑制度に反対していたとしても、そんな人を見る目もなく、職務遂行義務すら果たさない人間の主張が、受け入れられると思っているのでしょうか??
っと。
話がずれました。あの弁護団に関しては、私は未だにかなり怒っているので。。。
取りあえず、上記理由により、近代国家の治安維持システムとしては死刑というのは理に適っていない制度なのです。
だけど。
だけどですよ??
この近代国家の治安維持システムには、一つだけ大きな欠陥があるのです。
被害者感情を一切無視しているという欠陥です。
はっきり言いますけれど、このシステムは人命を最大限に守った上で治安を維持するという目的しか果たせないシステムなのです。
刑罰の重さによる犯罪抑止力も、被害者感情も一切考慮されておりません。
確かに人間の自由意志を最大限に尊重するという近代国家としては、犯罪抑止力という発想は間違っているのでしょう。
他人の刑罰を喜ぶような、被害者感情というのを認める訳にはいかないのかもしれません。
でも、犯罪被害者はそれでも生きていかなくてはいけません。
被害者自身は殺されたにしても、その遺族は恨みも果たせず、常に社会と加害者を憎んで生きていくでしょう。
それが認められるのでしょうか?
そんな世の中で正しいと思うのでしょうか??
私は、間違っていると思います。
全ての人権や自由意志が認められる近代国家観。
その思想は確かに正しいと思いますけれど、自由意志の前に遵法意志が、権利の前に義務が来ると思うのです。
だからこそ、私は抑止力としての、被害者感情の発散としての死刑は認めざるを得ません。
個人的には死刑ではなく、過酷な労働条件下での強制労働刑が欲しいんですけどね。
死刑にして終わらせるくらいなら、一生重労働を課し死ぬ際まで重苦を味わせ続けつつ、国家生産力の足しにした方が遥かに生産的だと思うのですよ。。。
そう考えると、中国の麻薬密売が死刑というのは実のところ近代国家としては間違った刑罰だという結論になります。
でも、中国は清国時代に阿片戦争を経験しております。
一度、麻薬で国家が滅びかかった経験があるのです。
だからこそ、麻薬には厳格であり……抑止力としての死刑を維持しているのでしょう。
それは中国内部の政治姿勢であり、日本がどうのこうの言える話ではありません。
国家の役割は……国民の生命と財産を守ることです。
中国が麻薬を死刑としなければ国民の生命と財産を守れないと判断しているのであれば、それは他の国家が云々言えるものではありません。
それを理解できない連中は、中国の死刑に対して異論を申し立てるのでしょうけれども。。。
私は基本的に他国の司法には国家として関わらない方が良いと思っております。
少なくとも、それがお互いを認め合う国家関係ですから。
……まぁ、アメリカのトヨタ叩きや、韓国のガンダムはロボットの一般名詞判決等……国家が歪んだ司法に直接関わってくる場合は、こちらも国家レベルで対抗するのが筋だとは思うのですけれども。。。
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