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■地方主権。。。

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本日の三橋貴明氏のブログ……新世紀のビッグブラザーへの記事「ギリシャとボルカー・ルール」にて出てきていた言葉が気になったので。

地方主権。。。

一部の地方分権論者の方々が「地方『主権』」(あるいは「地域主権」)という言葉を使っています。これは実は重要な言葉で、主権とは、そもそもその国の国民「にしか」存在しないものなのです。日本の主権は、日本国民にのみ属しています(憲法に書いてあります)。
 その主権を地方に与えるとは、どういうことなのでしょうか。主権は分割できませんので、「地方主権」という言葉は、「地方が主権を持つために独立する」と言っているも同じなのです。この「地方主権」という言葉と外国人参政権を組み合わせると、非常に「嫌~」な構図が見えてきませんか。


私も地方出身者としてこの一節を考えてみました。
そして、出てきた結論は……三橋氏の言われる「嫌~」な構図などではなかったのです。

では、主権とは何でしょうか??

1.対外的な独立性という意味で用いられる場合
2.対内的な統治権という意味で用いられる場合
3.国家における最高決定力という意味で用いられる場合

(byうぃきぺでぃあ。。。)

……の三つです。
この言葉の意味を照らし合わせてみると……地方主権として扱われる場合は3.の項目に該当するのだと思われます。

つまり、地方統治においての最高決定力を地方に持たせたい。
こういう意味だと私は結論付けました。

その上で、出た結論は……当然の一言でした。

まず、最初に断っておくことは、地方の日本国民の中で、本当に日本国が嫌いな連中ってのは民主党員、日教組、そして某特定亜細亜民のみだということです。
私などは日本が好きですし、日本国を良くしようと常々思っています。
そして、国防関係や外交等……日本全国全ての利益と密接に関わってくる問題は、この問題とは分離して考えなければならないのだと理解しております。

だけど……だけどです。

現状の地方自治というモノがどういうものか、それを理解してもらうと……地方の人間が地方主権と叫びたくなるのも分かると思います。

まず、戦後すぐ。
国家規模の命令により、造林が日本各地で推進されました。
山々を切り拓き……戦火や戦時中の燃料のために木のない山も多かったでしょうが……日本各地で杉・桧の植林が開始されたのです。
いや、実際のところ、本当に山が荒れていたのは、農地開拓の所為だとも言いますので、これは少なくとも国家に責を押し付けるのは間違えているのかもしれません。

でも……高度成長期における木材輸入自由化
この政策を国家が進めたという一点で、地方の人間は全て国家施策に反対してもおかしくないのです。
何しろ、これの所為で田舎は生活の糧をほぼ全て失いました。
今まで木材を切り出し、その材を金にかえて生活していた方々が全て……緩やかにとは言え、失業した訳です。
田舎に人は住めなくなりました。だって、生活の糧がないんですもの。
加えて、森林施業のようなきつい一次産業よりも、デスクワークの銀行員のような三次産業の方が収益が多い時代がやってきたのです。

はっきり言いますが、森林施業というのはデスクワークに慣れた人間にとって地獄以外の何物でもありません。
ちょっと間伐体験をやったことがあるので知っていますが……
まず、山の中に歩いて行くだけで凄まじく疲れます。その辺りの遊歩道を歩くのとはレベルが違います。山の中、藪の中をかき分け……虫に刺されながらも、急斜面の中を歩き続けるのです。
加えて、チェーンソーで伐採作業というのも、非常に重労働です。
木を斬るだけで、腕が痺れて数分間は感覚がないような状態に陥ります。
長年森林施業を行ってきた方々は、振動病という継続的に振動を与えることで脳の血管運動中枢失調や神経炎による病気になってしまいます。
最後に材を出すという作業も重労働です。
今でこそ色々な林業機械がありましたけれど……架け線という鉄線を結い合わせたロープを張り、それに木材を結びつけて麓まで引っ張るわけです。
てこの原理を応用しているとは言え、これも重労働なんですよ。。。

そうやって出した木材が、今や一本でン万円って程度。。。
一本を育てるのにかかっているのが50年ですよ??
……やってられる仕事ですか、これが!!

そんな状況で、森林施業が主な仕事だった中山間地域に仕事なんてあるわけもなく……若者は都会に出てくる以外に道がなかったのです。


いや、国家は田舎を完全に見捨てるほど非道ではありませんでした。
日本国は……自由民主党は、そんな田舎に手を差し伸べてくれたのです。
そう、公共工事という救いの手を。
勿論、票田としての価値を捨てないという背景がなかったとは言いません。
ですが、森林施業以外の仕事をして田舎で生活しようにも、土木作業員以外には仕事がないのも事実なのです。
仕方なく……田舎の人間は公共工事に依存度を高めて行きます

ですが、この公共工事というのには、とんでもないがありました。
まぁ、考えてみれば分かると思うのですけれど……田舎の片隅にあるような、しかも過疎化が極限まで進んでいる地方公共団体に、市町村民を食べさせるようなお金があるわけありません。
主なる産業である木材価格を切り捨てられ、稼ぎ主たる人口の殆どを都会に持っていかれた田舎に、そんなお金があるはずもない。
つまり、国庫補助金に頼るしかないのです。

そして、この国家補助金というのは、かな~り厄介な代物です。
幾つかの種類がありまして、地方交付税はまだ多少なりとも融通が利くのでしょうが、公共工事に対する補助金というのはかなり頑固なものでして……本当に融通が利きません。

ここから先は我が父の受け売りになるのですけれど。。。
公共工事の補助金というのは……まず、用途が完全に決められています。
ま、当たり前と言われればそうなのですが、道のためと申請すれば、道にしか使えません。
そして、その道も……非常に厳しい取り決めがあります。
道路構造令に従うのは問題ないのですけれど、現状の交通量を調べ、その交通量に合わせた設計以外は許されません。
将来、この場所に宅地を作るのでそれを見越した大き目の道を申請しても、まず通らないのです。
その上、常に問題が生じないと補助金は下りない。

いや、地方公共団体の最悪の問題点は……地元に存在している主な産業が既に公共工事によって成り立っている土建屋のみになっているため、公共工事を手放すと地方公共団体そのものが死ぬことになるという点です。
だからこそ、必死に補助金に縋る。
だけど、補助金は常に縄付きで……用途を決められ、設計を決められ、その上、会計検査に見られるという始末。。。
地方公共団体は、何一つ決定する権限もないまま、言われるがままに言われた通りのルールで言われたままのモノを造り続けてきました。。。

補助金に関わる全ての事象でこうなのです。
勿論、資本主義社会では資本が全てなのですから、金がないヤツが権限を持たないのは当然と思われるかもしれません。
それでも、もっと地方に似合った公共工事があったかもしれません。
補助金として土木工事に費やす以外の道があったかもしれません。
少なくとも、補助金として工事にしか使えないお金を持ってこられても、地方の人間は工事しか出来ない訳ですから土建屋以外の産業は育ちません。そして、土建屋が主体となる以上、土木工事のお金を次から次へと貰うしか出来ない。いや、貰うのを辞めれば地方公共団体が崩壊してしまうのですよ。。。
既に詰み寸前の将棋みたいなものです。王を逃がす一手以外に打つ手のないまま、何年間もやってきているのが地方公共団体です。地方自治への決定権なんて本当の意味であるはずもありません。。。

ちなみに、もはや現状で生命維持しか出来ない情況まで叩き落しておいて、コンクリートから人へも何もないのです。
殺される寸前の地方には、今までの政策を行っていた党が自民党だろうと民主党だろうと関係ありません。
もし本当にコンクリートから人へとするなら、土木関係の補助金で生命維持を続けさせたまま他にも芳醇な資金を地方に回し、国庫補助金に頼らなくても一人前に地方自治出来る状況にして始めて、その言葉が生きてきます。。。
そうでないなら、ただの生命維持装置の取り外しに過ぎませんから。。。

ま、都会にいらっしゃる方に、この現状を理解しろと言っても……所詮は言葉でしかないのでしょうけれど。


ただ、この状況を作り出したのは……
地方から収入を奪ったのは国家政策で、
地方から人間を奪ったのも国家政策なのです。

そして、中央集権政治の本来の目的は、国家が一丸となって成長を果たすという点ではなく、地方分権制度を行えば、地方格差が広がるので、中央に権力を集中させ、各地方に意見する余地を残すことにより各地方毎の格差を無くすためなのです。。。

なのに、中央政府の行ってきたことは……地方から金と人間を失わせる政策だけでした。
勿論、あの高度成長期にソレが必要だったというのはある程度は理解しています。
そのお陰で、日本は世界第二位の経済大国になり得ました。
でもそれは……日本各地に散らばっていた力を一点集中させたからに他なりません。


今の日本は成長期を終え……成熟期に入っております。
今までの成長期において、必死に長所を伸ばす成長を続けたのが日本国です。
国家を一つの樹だと仮定すると、必死に上に上に伸びたのが今の日本という訳です。
……地方を……根に届くべき養分を全て成長に使った成果が、今の日本なのです。

これからの日本が行うべきは、地方を切り捨て、まだまだ成長を続けることでしょうか??
私はそうは思いません。
ある程度上に届いたときに行うべき政策は……現状の樹高を維持したまま、根を広げる作業だと思います。
つまり、現在の国家水準を維持したまま、中央に集まった人間を地方に分散させる作業が必要だと思うのです。

そうすれば、またもう一度日本が立ち上がるべき時に、国家全体の力が地方に分散しているため再集結することで更なる成長を期待できるのです。


ま、その辺りの国家戦略は地方人と都会人で考え方が違うでしょうから、ひとまず置いておいて……
結局何が言いたかったかと言うと。

森林材の価値を失わせたのも、田舎の活力を奪ったのも国家政策そのものである。
そして、公共工事はただの金のばらまきではなく、そんな地方延命の栄養剤にもなっているということ。
だけど、その公共工事には様々な制約があり、結局のところ、地方公共団体が自分の意志で何かを決定するなんて裁量は欠片も残されて居ない。
だからこそ、地方自治の最高決定能力くらいは地方に戻して欲しいという意味で、地方主権が叫ばれているのではないか?と私は推測する。

……って感じでしょうか??
最後の方はちょっと感情的になり過ぎて……おお、この記事を始めてから一時間経ってるし。。。
ちょっと全体的な構成が甘いかもしれませんけれど、言いたいことは全て書きました。

ついでに言うと。。。
現在の森林施業は多額の補助金を出しているものの、まだ整備が圧倒的に足りない状況。
(……整備されていない杉は大量の花粉を放出するから、花粉症の原因は全て整備されてない山が原因。そして、その状況を作り出したのは政府です)
そして、昨日の自民党公演でも言っていましたが、CO2削減25%を謳う民主党内閣は、そう叫びながらも……自民党議員ばかり通った我が県を忌み嫌ってか森林施業関係の補助を事業仕分けで軒並み打ち切ったということ。。。


最後に。。。
確かにこの田舎の状況を作り出したのは自民党の政策ミスでしょう。
いや、ミスというより、田舎というのは成長するために切り捨てざるを得なかった部分なのでしょう。
切り捨てた部分に温情を加えてくれていただけでもマシかもしれませんけれど、だからと言って切り捨てられた方としては溜まったものじゃありませんけれど。。。
ま、そんな訳で、私は自民党自体、あまり好きではありません。
それでも……弊害を築き続けてきたとは言え、日本国を良くしてきたというのは間違いようのない事実なのです。
だからこそ、自民党ってだけで嫌ったりはしませんし、切り捨てられた地方人として彼らにお灸を据えるような真似も考えたことすらありません。
そりゃ、たまに嫌味くらいは言いたくなりますどね。。。
そして、そういう自民党に切り捨てられた部分にも目を通すことで、もっと日本の将来が明るくなれば良いなと思う次第であります。。。


そんな訳で、今日はちょっと自民党への嫌味が主となった、地方人の意見でした。。。
都会の方々からすると、かなり反感を感じる記事かもしれませんけれども。。。


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