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■教育とは。

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私の12年間(中学3年間、高校3年間、大学6年間)の疑問をぶちまけたく、エントリを立ち上げました。

これでも一応は中高一貫の進学校に通い、国立大学を卒業した身ですので(見事に大学では留年しましたけれど)、受験勉強がどういうモノかは熟知しているつもりです。
尤も、あの頃は勉強なんて欠片もせずに漫画を読むか描くかばかりしていた記憶しかありませんけれど。

その受験勉強を生き抜いた記憶から言わせて貰いますと、そもそも受験勉強のシステムは間違っていると断言出来ます。

いや、優秀な人材を見極めるという点においては、受験勉強そのものを否定するつもりはありません。
と言うよりも、競争システムで人材の適正を確認するという意味では受験は必須とも言えるでしょう。

ですが、受験システムと、受験勉強という行為そのものは間違っていると断言出来ます。

何故ならば、全ての受験勉強というシステムは丸暗記こそに全ての容量を費やした、勉学の基本を徹底的に排除した下らない記憶遊びに成り下がっているからです。


まず、国語
国語の定義とは、日本語の文章やその奥の暗喩、作者の意図を理解することによって、日本を使ったコミュニケーションに弊害が出ないようにするためのものです。
つまり、相手の意図を読み取る能力と同時に、自分の意図を相手に伝える能力を磨くための学問なのです。

それが、現状では何を学んでおりますか??
文法やその使い方の名前を暗記するのみ。
国語を学ぶ上で最も必要とされるだろう能力は、文章を読んでその内容を自分なりに解釈し、それに対しての自分の意見を相手に分かりやすく伝えるという能力の筈です。
ラ行変格活用って言葉を覚えて何の意味がありますか??
勿論、ら抜き言葉などのように、文章を正しく理解するのは必要です。
ですが、受験勉強として、大学に必要な人材を確保するハードルに、そんな丸暗記が何の役に立つのでしょう。

古典も同様です。
日本の古代文学を学ぶことによって、日本古来から伝わってきた感性や情緒を学び、古来から伝わる道徳・美徳など、今の時代にも通じる大切なことがあるというのを理解するのが古典です。
なのに、今行っている受験勉強では、単に丸暗記の文法パズル
丸暗記をするだけならば、記憶術を学ぶだけで十分ですし、パズル的頭脳を得るだけならば訳の分からない暗号読解で十分なんですよ。
古典を学んでいる意味そのものを喪失しているとしか思えません。


歴史も同じく。
歴史を学ぶ上で最も必要なのは、過去の教訓を学ぶことで同じ過ちを繰り返さないこと。
だからこそ、過去を環境・国際情勢・当時の道徳を同時に学び、歴史上の悲劇と同じ結果を生まないようにすることこそ、歴史を学ぶ意義です。
歴史とは、年号を覚える記憶ゲームではありません。
人名を覚えるだけのゲームでもありません。



数学も似たような傾向があります。
数学で必要なのは、数的ロジックや図形を見ることでその意図を理解することです。
あの当時は全く理解できませんでしたけれど、サインコサインで面積を算出する方法などは、その手の仕事に就けばしっかりと役立つ、意味のある行動でした。
微分積分も然り。その他にも、数的な計算術というのは意外と人生に役立つことはあります。
……特にそういうのを扱う仕事に就けば。
だから、今の受験勉強のための教育の全てが無意味とは思いません。
が、ただ複雑で難解にすれば良いってものじゃないでしょう??
数学に限らず、勉学は如何に人間形成に役立つか……です。
微分積分や面積計算、三角関数などは今の仕事にある程度役立っていますから否定するつもりはありませんけれど、数学的帰納法や真偽の証明など、ああいう小手先の数字+言葉遊びが人生において役立つことがあるとは全く思えません。
まぁ、勉強している当時は三角関数なんて何の役に立つんだ?って思っておりましたから、もしかしたらそういう技術も何らかの職業で役立つのかもしれませんけれど。。。

……せめて、どういう状況でこの数式が役立つから覚えておく必要がある……という説明を事前に行ってくれないと、全く人生経験の浅い学生では勉強する意欲すら湧かないのです。


コレは全ての教科を学ぶ上でも同じでしょう。
目的意識が実感できなければ、勉強するそもそもの意欲が湧かず、修学効率も下がろうというものです。

……その辺りは仕事と同じですね。
今の仕事がどういう人間の役に立つか……達成目標ってのがあれば仕事も頑張れますし、その意欲を湧かせてくれる上司の下ならば仕事の能率も上がろうというものです。
ですが、受験勉強はその辺りの一切を無駄と省き、受験に役立つからという理由だけで教え込もうとしております。
それこそが、受験勉強が最も間違っている点だと思うのです。。。


ちなみに、私がもう全く必要ないと思う授業は、音楽です。
確かに小学生では楽譜の読み方とか、楽器の使い方、音楽を聴くという姿勢を学ばせるのは必須だと思います。
情操教育という点においてですね。
ですが、中学・高校生にもなって、この音楽がそこいら辺に蔓延している時代に、過去の名作を強制的に聞かせることが必要でしょうか??
そして、人前で上手くも無い歌を歌わせることが本当に必要なのでしょうか??
例えば、私はクラシックは好きです。
別に小難しい理論やら過去からの歴史を考えるまでもなく、音楽そのものに訴えかけてくる何かがあるとは分かりますし、ただソレを聞くだけで満足出来る素晴らしい音楽だと思っております。
けれども、同時に新谷良子様の歌も大好きなんです。
彼女の歌は、実績も理論も何も関係なく、ただ純粋に好きなんですよ。
これほど複雑な人間の感性を理論付け、教え込むことに何の意味があるのでしょうか??
音楽の勉強なんて、音楽関係の学校へ行く人間のみに必要な教科とし、通常必要な教科として強制的に教える必要はもうないのではないでしょうか??
少なくとも、今のご時世、何をしなくても音楽なんて自然と耳に入ってくる訳ですし、音楽を聞くことによって豊かな情緒を獲得する……なんてお題目を必要とする時代ではないと思うのですよ。。。

いや、私があまりにも音痴で、学校であった歌唱テスト時に笑いものになったのが原因という訳では……げふげふ。



っと。
言いたいことは言い尽くしました。

一言でまとめると……
受験や受験勉強自体を否定はしないけれど、その為に学問に最も必要な根本的なことを忘れている以上、それらのシステム自体が無意味と化しているのでは??
……ということです。

結局、今は自由意志を尊重する世の中です。
である以上……仕事も勉学も、自発的に行おうとする意志を喚起することこそ最も効率的だと言えるでしょう。
そこのところを忘れ、勉学の目的を何処かに取りこぼし、何のために学習するのかを教えるという根本的なことまで放棄した受験や受験勉強が何らかの意味があるとは思えません。

別に学力を競わせることを否定する日教組と同じ主張がしたい訳じゃないのです。
競うなら競うで、もっとしっかりした土俵と、もっとしっかりした目的意識を学生の中で形成しないと競争のみが目的という、学問を学ぶ意味が全く無い最悪の事態に陥ってしまいますよ……というお話だった訳です。


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