2ntブログ
■2010年08月

■スポンサーサイト

ブログランキング、こちらも始めました。

人気ブログランキングへ
ブログ、作ってみませんか?
こんな私でもFC2なら何とかなってます。。。
ブログ
カウンター


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



本記事に1クリックの価値くらいは見出せたって方は、ブログランキングよろしくお願いします。
            ↓↓↓↓↓
                

■靖国神社参拝について

ブログランキング、こちらも始めました。

人気ブログランキングへ
ブログ、作ってみませんか?
こんな私でもFC2なら何とかなってます。。。
ブログ
カウンター


何故、この小泉純一郎という首相は、中国との国交を犠牲にしてまで靖国神社に参拝を敢行するんだろう?
首相たるもの、国益を最大に考えて、個人的な思想・宗教観は控えるのが当然ではないか??


……そう考えていた時期が、私にもありました。

まぁ、あの問題が世間を騒がしていた頃ですから、凡そ5年以上昔の話なんですけれども。


という訳で、今日は終戦の日にちなんで、私なりに靖国神社参拝問題の是非を語ってみたいと思います。
尤も、これはあくまで玉音放送が流れた日であって、まだこの後に満州目がけてロシアが南下してくるという、降伏後の相手から略奪と虐殺を繰り返したという最悪の事態が起こっていた訳で……今日を終戦記念日とするのは満州で散っていった方々を冒涜する気がするんですけれども。。。
ま、それは兎も角。

靖国神社というものは明治維新以降の戦没者を祀る場所です。
その戦没者にA級戦犯と呼ばれる戦争犯罪人(とされた方々)が含まれて居るのが問題だとか。

では、そもそもA級戦犯って何でしょう??

A項「平和に対する罪」((a) Crimes against Peace) に関連する犯罪は、ドイツ-ニュルンベルクの国際軍事裁判所と日本-東京の極東国際軍事裁判所で審理され、それ以外のB項「通例の戦争犯罪」・C項「人道に対する罪」を主とした犯罪は、各地の連合国軍と犯罪が行われた各国において審理された。

B項「通例の戦争犯罪」((b) Conventional War Crimes) とは、戦時国際法における交戦法規違反行為 (Namely, violations of the laws or customs of war) を意味する。

C項「人道に対する罪」((c) Crimes against Humanity) とは「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、捕虜の虐待、追放その他の非人道的行為」と定義されたが、この法概念に対しては当時から賛否の意見が分かれていた。なお、このC項は、日本の戦争犯罪とされるものに対しては適用されなかった。



さて、知って居られる方は多いと思いますけれど、このA項「平和に対する罪」ってのは実際のところ、太平洋戦争が終わってから作られた罪状です。
1945年6月26日から8月8日まで本会議だけで16回の協議が行われたものの、ロシアとアメリカで主張が合わず、結局戦犯を裁く法律が完成したのは太平洋戦争が終わってから。
そんな戦争が終わった後に出来た法律で裁かれたのがA級戦犯という存在です。
どちらかと言うと、私はB級戦犯「通常の戦争犯罪」を犯した方々の合祀が問題ではないかと思うのですけれど。
ま、それもどういった罪状で起訴されているかを確認した後で、個々の戦争犯罪人とされた方々を吟味し、誰が問題で誰が問題でないかを確認した後でようやく協議できる内容だとは思いますけれど。


そもそも、A級戦犯が東京裁判で戦勝国によって裁かれたことによって日本は敗戦に導いた政治の罪を誰一人裁こうとはしませんでした。
そのことが、A級戦犯=日本を戦争に導いた罪という形になってしまったのが、靖国神社参拝を日本人の中でも嫌う方々が多い理由だと思われます。


ですが、そんな些事よりも、もっと大切なことがあるんです。
それは、国家と国民との関係を考えればすぐに理解出来ると思います。

そもそも、国家は国民の生命と財産を守る義務があります。
そのために国家は国民に対して、税金を納め、労働をしてもらい、教育を子供に受けさせ、法を守らせるという義務を与えている訳です。
これは国家と国民の間に築かれた、絶対にして唯一の契約です。
逆を言えば、国家は国民の生命と財産を守りさえすれば、どれだけ税金を払わせようが、どんな労働をさせようが、どんな教育を受けさせようが、どんな法律を施行しようが構いません。
が、当たり前ですけれど、国益に反するとしか思えない法律を施行することは、結局のところ国民の財産を失わせる訳ですから、迂闊がことが出来る訳もありませんけれど。
特に自由主義国家においては、自由というのも国民の権利……つまりが財産です。
それを奪おうとする法案を作るならば、その法案が如何にして国益に、つまり国民の利益になるのかを国民全てに納得させなければなりません。

国防に関しても同じことが言えます。
国家は国民の生命と財産を守るために、国民から兵士を集めます。
国民を強制的に集める徴兵制度か、それとも自由意志で集める募集制度か、手法に違いこそあれど、国民の一部を集めて国防に当たらせるという方法に違いはありません。
これは国家が国民の生命と財産を守るという義務を果たすため、国民に兵士としての勤めを義務として差し出させる。
そういう契約です。

そして……残念なことに戦争が起これば死者が出ます。
国家が国民という非常に多数の生命と財産を守らなければならない以上、兵士という一部の人間に犠牲を強いることで、全体としての犠牲を最小に済ませる。
国家が万能で無い以上、その手法を取るのは仕方の無いことなのでしょう。

……尤も、外交や政治がその当時その当時で完璧に出来ていたとは言い難いのも事実ですけれど。
そういう背景には関係なく、戦没者という方々は国家からの求めに応じ、その身命を国防という義務に捧げました。

戦争は悲惨です。
汗だくで病に犯され、疲労に崩れ、飢えに苦しみ、怪我に苦しみ、悲惨な死を迎える。
そこに一切の美化などが入る余地がないほど、悲惨な行為であるというのは重々承知です。
が、兵士として亡くなった方々が果たされた義務までを悲惨とするのは間違っております。
兵士として亡くなった方々が義務を果たそうとした心意気だけは、絶対に評価しなくてはなりません。

何故ならば、それを評価しないということは、それを無視するということは、国民が義務を果たすことそのものを評価しないということです。
即ち、税金を納め、労働に勤しみ、子に教育を受けさせ、法を遵守し、国家を守ろうとする義務……そういう国家の礎を評価しないということに繋がります。

そして、内閣総理大臣とは日本の行政機関全ての長です。
行政には警察や消防隊、自衛隊なども含まれております。
警察官は日本の治安を維持するために、消防隊は日本を火災という災害から守るために、そして自衛隊は日本を侵略という魔の手から守るために、それぞれ危険を賭した仕事を果たしております。
である以上、あってはならないことながらも、殉職者が出ているのはれっきとした事実ですし、これ以降も殉職者が出るだろうことは確実でしょう。
そういう義務を果たすために身命を賭さねばならない方々が、同じように身命を賭して頑張った方々が評価されないと知れば、どうなるでしょうか??
警察して、消防として、自衛隊として……国家のために頑張ろうと思う気すら湧かないでしょう。

いや、それだけではありません。
国家のために身命と捧げるのが、最大の義務であることは間違いありません。
その命を落としてまで為された最大の義務さえ評価されないのです。
税金を納める行為の意味なんて、何処にありますか??
働く意味なんて、何処にありますか??
子供に教育を受けさせる意味なんて、何処にありますか??
法律を守る意味なんて、何処にありますか??

……あくまで極論ではありますけれど、これはそういう思想の蔓延に繋がります。
義務を評価しない国家ということは、そういう国家なのです。

そして、今、日本にはびこる問題は全て義務の重要性を理解しない問題です。
法律すら守れない国会議員。
犯罪を犯す警察。
権力をもって私腹を肥やす公務員。
法律知識をもって自分の思想を広めようとする弁護士。
真実を伝える義務が守れない報道関係者。
税金すら納めていない内閣総理大臣。。。


このように、義務行為の軽視は、国家の根底を揺るがす事態に繋がるのが当然です。
何故ならば、誰だって義務として生命や財産を払うのを拒むからです。
だからこそ、義務は尊く。
だからこそ、義務を果たす行為だけは尊いものとして扱わなければなりません。

国民の義務によって成り立ち、国民の義務に頼る形で国家の義務を果たすことが仕事の内閣総理大臣ならばこそ、国民の義務の重要性を深く理解していなければなりません。
そして、内閣総理大臣であればこそ、国民が義務を果たす行為を全身全霊を持って評価するという態度を、国民全てに見せ付けなければならないのです。。。


以上の理由をもって、私は内閣総理大臣の靖国神社参拝を推進します。

正直な話、私は靖国神社を信仰の対象としておりませんし、戦没者に知己や身内は存在しておりません。
少なくともそういう話を聞いたことがありません。
それでも、国家の存在意義と共に、国家が繁栄するのためにこそ、靖国神社参拝を堂々と行い、国家国民に対して義務を果たす行動の価値を知らしめる必要があるのです。
そう出来ない社会だからこそ、この日本が歪み、様々な社会問題を抱える羽目に陥っていると、私はそう思えてならないのです。。。


ちなみに。
私は終戦の日の黙祷の時間、自分なりの供養としてご飯を食べておりました。
戦没者の、戦争の犠牲になった方々のお陰で、自分はこういう美味しい食事を満腹になるまで食べられる。
それが私なりの供養であり、戦没者への敬意です。

戦死者の多くが飢えと病で亡くなったと聞いているからこそ、私なりの感謝です。
少なくとも、自分は、自分の世代は飢えることがないという報告でもあります。

だからこそ、日本は改めて誓うべきだと思います。
戦争で命を落とす方が無いように。
飢えで命を落とす方が無いように。
そして、病によって命を落とす方を無くすように、これからも鋭意邁進すると。。。



本記事に1クリックの価値くらいは見出せたって方は、ブログランキングよろしくお願いします。
            ↓↓↓↓↓
                

FC2カウンター

blogram

ブログ翻訳

巡回先

ブログ内ランキング

ブロとも申請フォーム

検索フォーム

カレンダー

07 | 2010/08 | 09
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ランキング

フリーエリア

メールフォーム

ご意見・ご要望・扱って欲しい時事・政治ネタ等ありましたら、メールを下さい。 善処させて頂きます。。。

名前:
メール:
件名:
本文: